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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)2365号 判決

原告 柴田正裕

右訴訟代理人弁護士 橋田宗明

被告 富士スピードウエイ株式会社

右代表者代表取締役 三野明彦

右訴訟代理人弁護士 圓山雅也

同 小木郁也

同 町田宗男

右訴訟復代理人弁護士 田澤孝行

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金四七四三万九一五円及びこれに対する昭和五二年三月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第一項につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生

原告は、昭和四九年三月二四日午後二時、静岡県駿東郡小山町大御神所在の自動車レース場「富士スピードウエイ」(以下本件レース場という。)において被告によって主催された別紙図面S地点をスタートして左廻りに赤線のとおり一周四・三キロメートルを一二周する「一九七四年富士ツーリング・チャンピオンレース」(以下本件レースという。)に競技者として参加したところ、同レース第二周目に訴外前山勝彦運転の競技車両(以下前山車という。)が後記一八番ポスト前附近のコース上で訴外石川亘運転の競技車両(以下石川車という。)と接触し、一旦停止したものの、その後再び自力走行してコースを横切り、後記一七番補助ポスト前附近のコースイン側土手に乗り上げたが、その際、多量のオイル洩れを生じ、一八番ポスト前附近のコース中程からイン寄りにかけてコース上に太く長く帯を引く状態にオイルを多量に流出させたため、第四周目を走行してきた原告運転の競技車両(以下原告車という。)が右一八番ポスト前附近で、右流出していたオイルに乗ってスリップし、そのため突然コントロールを失い、そのままコースアウト側に逸走してガードレールに激突し、よって原告は頭部外傷、脳挫傷の傷害を被った。

2  責任

(一) (民法七一七条一項に基づく責任)

本件レース場は被告が占有管理しているものであるところ、その占有管理につき次のような瑕疵があり、それがため本件事故が発生したものであるから、被告は民法七一七条に基づき本件事故によって生じた損害を賠償すべき義務があるものというべきである。すなわち

(1) 国際スポーツ法典付則H項(以下単に付則H項という。)によると、レースに際しては必要箇所にそれぞれ監視ポストを設け、各ポストには要員として、主任一名、副主任一名、係員三名以上、したがって合計五名以上の人員を配置するよう定められているのにかかわらず、被告は本件レースに際し、前記コースに沿った別紙図面⑳ないし⑦の八箇所の各地点に監視ポスト(以下⑱の地点のポストを一八番ポストという、他も同じ。)、一八番ポストと一七番ポストの間及び一四番ポストと七番ポストの間にそれぞれ補助監視ポスト(前者を以下一七番補助ポストという。)を設けたが、一八番ポストには、主任として訴外渡辺徳治、副主任として訴外関幸一、係員として訴外衛藤秀宣、以上三名のコース委員が、一七番補助ポストには、主任として訴外村手重廣、副主任として訴外田中有光、以上二名のコース委員がそれぞれ配置されていたにすぎず、右要員数の不足がなかったならば、右各ポストの要員は、コース上における前記多量のオイルを発見するとともにこれに対する処置(オイル旗の掲示及び流出オイルの清掃排除)をすることができ、これにより、本件事故の発生を防止することができたはずであるのに要員数が不足していたため多量のオイルの流出に気づかずないしは気づいても処置できなかったことにより本件事故が発生したのであるから、右要員の不足という本件レース場の保存に係る瑕疵が本件事故の一因となっているものというべきである。

(2) 前記一七番補助ポスト備付けの電話器(以下本件電話器という。)は、事故当時、故障中で不通であり、訴外村手が一八番ポスト前附近コース上における前記オイルの存在を知ってこれを右ポストに連絡しようとしたが、電話器が故障のため右連絡をすることができなかったもので、右のように故障中でなければ、訴外村手から電話連絡を受けた一八番ポストの要員がオイルに対する前記処置を行うことにより、事故の発生を防止することができたはずであるから、本件レース場の保存に係る右瑕疵もまた本件事故の一因となっているものというべきである。

(二) (民法七〇九条に基づく責任)

被告は、本件レース場の占有管理者として、その占有管理に当たっては善良な管理者の注意をもってこれに当たるべき義務があるところ、本件レースに際し、前記(一)(1)、(2)のとおり、一八番ポスト及び一七番補助ポストの要員不足のままの配置並びに電話器の故障という、それぞれ右義務を怠った過失があり、右過失によって本件事故が発生したものというべきであるから、被告は、民法七〇九条に基づき、本件事故によって生じた損害を賠償すべき義務がある。

(三) (民法七一五条一項に基づく責任)

更に、本件事故は、被告の支配監督するコース委員の過失によって発生したものであるから、被告は民法七一五条一項に基づき本件事故によって生じた損害を賠償すべき義務がある。すなわち、

(1) 付則H項によると「車の機械の不調又は事故により、自分の監視区域内で停止した車があった場合、エンジンを再始動させることなく、必要な信号合図の保護のもとにその車を走路の外へ押し出す必要がある」と定めているのであるから、前記のように前山車が石川車と接触して一旦停止した際、一八番ポスト要員である訴外渡辺、同衛藤としては、右規定に従い前山車の自力走行を制止したうえ、同車を更にコースイン側に誘導すべき注意義務があったのに、前山車が再度コースに復帰し得ない状態であることを知りながら、漫然と同車を放置した過失により、コース上にオイルを流出させ、これにより本件事故を惹起するに至らしめたもので、しかして右両名は、いずれも被告の支配監督を受け、被用者としてその事業の執行に当たっていたものである。

(2) 更に、訴外渡辺、同関、同衛藤の三名は、前記のとおり一八番ポストの要員として、本件レース中、同ポスト前附近のコースを監視すべき注意義務があったのに、いずれも右注意義務を怠った過失により、コース上における前記オイル流出を発見し得なかったものであり、これを発見していれば、オイルに対する前記処置をすることにより、本件事故の発生を防止することができたはずであるから、本件事故は、右三名の前記過失により惹起されるに至ったものというべきである。殊に、右衛藤は、一七番補助ポストの訴外田中からオイル洩れがあることを告げられていたのに、右事実の確認をしようともしなかったのであるから、右監視義務違反には著しいものがあるというべきである。

そして、右三名は、被告の被用者として、その事業の執行に当たっていたものである。

なお、本件レースを主催したのは被告で、訴外「Fiscoクラブ」はその事務局が被告会社内にあって、事務所の使用料も支払っておらず、事務員も被告の社員で給与も被告が支払っており、同クラブは被告の一部門にすぎない。

以上のとおり、被告は、前記(一)、(1)、同(2)、(二)、(三)(1)、又は同(2)により、本件事故によって生じた後記損害を賠償すべきものである。

3  損害

(一) 治療費

原告は、本件事故による前記受傷のため、同事故当日である昭和四九年三月二四日から同年七月六日まで訴外済生会神奈川県病院に入院(入院日数一〇五日間)、次いで同月二六日から同年一〇月三〇日まで訴外七沢障害交通リハビリテーション病院に入院(入院日数九七日間)し、その後も昭和五二年二月九日まで同病院に通院し、この間、国民健康保険により治療を受けたが、その自己負担分として、前記済生会神奈川県病院に対し金三五万四二一〇円、前記七沢障害交通リハビリテーション病院に対し金一五万六七四円、以上合計金五〇万四八八四円を支出した。

(二) 逸失利益

(1) 原告は、本件事故当時、訴外柴田建設株式会社に勤務し、同事故の前年である昭和四八年は、年額金一六〇万円の給与所得を得ていたが、同事故後は、前記受傷及びその治療のため同会社に勤務することができず、これにより、同会社から給与の支払を全く受けていない。

したがって、本件事故後、症状固定日である昭和五二年二月九日までの期間の右給与相当損害金は、金四五九万九九九九円となる。

(2) 原告は、右のとおり、昭和五二年二月九日症状が固定したものであるが、本件事故による受傷の後遺症として、①右上下肢に軽度の痙性があり、巧緻性、スピード性が左上下肢に比較して三分の一の低下、②右足関節の運動障害、背屈制限、③右足関節、足指の筋力に中等度の筋力低下、④話し言葉のリズムに障害、という症状を残し、現在なお、一本杖及び短下肢装具を使用する日常生活を強いられており、右後遺症の程度は、労働基準法施行規則別表の四級に該当し、自己の労働能力の九二パーセントを喪失したものというべきで、原告は昭和二九年二月一二日生まれの男子で、本件事故に遭わなければ、右症状固定日当時の二二歳から六五歳までの四五年間就労し、この間毎年、少くとも、前記のとおり、事故前の年間給与収入である金一六〇万円の賃金収入を得ることができたはずであるから、右後遺症によりその間少なくとも毎年金一四七万二〇〇〇円の収入を失ったもので、右額から新ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して右症状固定日現在の現価を求めると、合計金三四一九万六〇三二円となる。

以上により、(1)、(2)の逸失利益合計額は、金三八七九万六〇三一円となる。

(三) 慰藉料

原告の前記入・通院慰藉料としては金二〇〇万円、後遺症慰藉料としては金四一三万円、以上合計金六一三万円が相当である。

(四) 物損

本件事故により原告車は完全にスクラップ化したものであるところ、原告はサニークーペを競技車両である原告車に改良製作するために金二〇〇万円以上を支出しており、本訴においては、右費用相当額の内金二〇〇万円を本件事故による損害として請求する。

以上の次第で、原告は被告に対し、金四七四三万九一五円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五二年三月二四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1のうち、原告がその主張の日時場所において実施された本件レースに競技者として参加したことは認めるが、レースの内容は不知、また被告が同レースを主催したことは否認する。同レースを主催したのは、訴外「Fiscoクラブ」であって被告ではない。同クラブの事務局が被告会社内にあること、同クラブが事務所の使用料を支払っていないこと、事務員は被告の社員でその給与は被告が支払っていることは認めるが、同クラブは被告とは別箇独立の団体で、訴外日本自動車連盟にもそれぞれに独立して加盟している。

本件レース第二周目に、前山車が一八番ポスト前附近のコース上で石川車と接触して一旦停止し、その後再び自力走行を行ったことは認めるが、イン側土手に乗り上げたこと、右自力走行中、前山車にオイル洩れを生じ、原告主張のようにコース上に太く長く帯を引く状態に多量にオイルを流出させたことは、いずれも否認する。前山車は、右接触によりコースイン側に停止し、第二周目の後続グループをやり過ごした後、危険なコースイン側を避けるべく自力走行のうえ、コースを横切ってコースアウト側のグリーンに進入したものである。また、仮に前山車からオイル洩れがあったとしても、それによって流出したオイルの量は少量で、太くなく、コースイン側に点々と細く長く帯を引いた状態になっていたにすぎない。

原告車が第四周目に入って一八番ポスト前附近のコースを通過する際、スリップを起こしてコントロールを失い、そのままコースアウト側に逸走してガードレールに激突したことは認めるが、原告車がオイルに乗ったことは否認する。原告車はオイルに乗ったものではなく、コースイン側のグリーンに車輪を踏み外してハンドルを取られた結果、本件事故に至ったものである。

原告が主張の傷害を被ったことは知らない。

2(一)(1) 請求の原因2(一)冒頭の事実中被告が本件レース場の所有権者兼賃貸権者として占有管理していることは認めるが、その余の主張は争う。同(1)のうち、一八番ポストには、主任として訴外渡辺、副主任として訴外関、係員として訴外衛藤、一七番補助ポストには主任として訴外村手、副主任として訴外田中の各コース委員がそれぞれ配置されていたこと(なお、一八番ポストには、右三名のほかに、もう一名の係員が配置されていたはずであるが、現在、その氏名は明らかでない。)は認めるが、その余の主張は争う。本件レースでは原告主張の八箇所に監視ポスト、二箇所に補助監視ポストのほか、別紙図面地点及び地点にもポストが設けられ、うち地点のポスト、一六番及び一五番のポストで主ポストに指定されていたが、既に主張したとおり、本件レースは、訴外「Fiscoクラブ」が主催し、コース委員の任命及び各ポストへの配置は、右主催者たる「Fiscoクラブ」がしたものであって、被告は全く関係がなく、したがって、原告主張のごとき人員配置をなすべき義務は、そもそも被告にはなく、仮に被告にその義務があるとしても、前記のとおり一八番ポストには三ないしは四名を、また一七番補助ポストには本来配置が不要であるのに二名をそれぞれ配置したもので、人員配置は適正であった。

(2) 同(2)のうち、本件電話器が故障中であったことは否認し、その余の原告主張は争う。

(二) 請求の原因2(二)の原告主張は争う。

(三)(1) 請求の原因2(三)(1)のうち、付則H項に原告主張の定めのあることは認めるが、訴外渡辺、同衛藤が被告の被用者としてその事業の執行に当たっていたことは否認し、その余の原告主張は争う。

訴外衛藤は、前山車が一旦停止した際、他のコース委員とともに前山車に対し再スタートを制止する合図を出しており、それにもかかわらず前山車が自らの判断で再スタートし、結局走行不能であることを知り、コースを横切ったうえ停車したものであり、したがって、訴外渡辺、同衛藤には何らの過失もない。

また、レースの途中で競技車両にトラブルが起った場合、ドライバーは当該車両の状態を最もよく知る立場にある以上、同人自身が、再スタート可能であるか否かを、自ら、判断すべきものであり、当該ドライバー自身が再スタート可能と判断すれば、それを制止することはコース委員にはできないというべきである。

(2) 同(2)のうち、訴外渡辺、同関、同衛藤の三名が、原告主張のオイル流出を発見しなかったことは認めるが、右三名が被告の被用者としてその業務の執行に当たっていたことは否認し、その余の原告主張は争う。

右三名は、一八番ポストの管轄区域を十分監視していたもので、原告主張のオイルの流出が仮にあったとしても、それは少量でかつコース面上ににじんでいたため、発見することができず、仮に発見していたとしてもレース中にコースに入って処置することは不可能であって、右コース委員らに原告主張の過失はなかったというべきである。

なお、一七番補助ポストの訴外田中は、第三周目に同補助ポスト前附近のコース上で訴外氏原基の競技車両(以下氏原車という。)が停止した際、同訴外人からオイルがある旨告げられたので、訴外衛藤に対してその旨伝達し、そこでこれを聞いた訴外衛藤は、オイル洩れの有無を確認すべく、一八番ポスト方向に引き返そうとしたところ、その途中で本件事故が発生したもので、右衛藤に原告主張の過失のないことはいうまでもない。

3  請求の原因3の事実は知らない。

4  本件事故は、前記のように前山車の接触事故後一九番ポスト要員である訴外守谷年幸が黄旗を不動状態で、また一八番ポスト要員である訴外関が黄旗を振動状態でそれぞれ掲示し、更に氏原車の停止後一七番補助ポスト要員である訴外田中が氏原車の前で黄旗を振動状態で掲示して「危険、徐行、追越禁止」を命じていたのにかかわらず、原告がこれを無視して時速二〇〇キロメートルで走行したため発生したもので、原告自身の操縦の誤りによるものである。

三  抗弁

仮に、被告会社が原告主張の理由で損害賠償義務を負うべきものとしても、スピードレースという極めて危険なスポーツにおいては、主催者、競技役員等の手違いはそれが社会的に許容されるものである限り違法性がないものというべきところから、原告は、本件レースの参加申込みをするに当たり、死亡、負傷、その他の事故により受けた損害について、主催者、競技役員、係員、雇用者(コース所有者を含む。)及び他の競技者等に対し責任を追求したり、損害賠償を要求したりしない旨の誓約書に署名押印し、これにより被告に対する関係でも本件レース中の事故により取得することあるべき損害賠償請求権を予め放棄したから、結局、被告は、前記損害賠償義務はないものというべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁中、原告が被告会社主張の誓約書に署名押印したことは認めるが、その余の被告会社主張は争う。右誓約書は本件のような初歩的な過失行為に対する損害賠償請求権を放棄したものではない。

五  再抗弁

仮に、被告主張の誓約書が、すべての損害賠償請求権を放棄する趣旨のものとすれば、かかる意思表示は、被告が原告に対し、契約上優者である地位を利用して承諾を強要したものであるから、民法九〇条に違反し、無効である。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁の主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  事故の発生

1  原告が、その主張の日時場所で開催された本件レースに競技者として参加したこと、右レースにおいて少くとも原告主張の八箇所に監視ポスト、二箇所に補助監視ポストが設けられ、原告車が第四周目に入って一八番ポスト前附近のコースを通過する際、スリップしてコントロールを失い、そのままコースアウト側に逸走してガードレールに激突したことは当事者間に争いがない。

2  そこで、まず右スリップがオイルに乗ったことによるものであるか否かについて判断する。

《証拠省略》を総合すると、本件レースはコース一周四・三キロメートル、一二周の四輪自動車レースで、合計一六台の競技車両が出走して行われたものであるが、レースの第二周目に一九番ポストを過ぎて一八番ポストに至る、そのほぼ中間地点のコース上で、前山車が石川車と接触し、一時ほとんど横転の状態になりながら、コースイン側グリーン上に逸走したうえ再びコース内に戻ったものの、結局、一八番ポスト前附近(一九番ポスト寄り)のコースイン側のコース上に一旦停止し、その後間もなく自力で走行を再開したが、右接触事故によってサスペンション部分が破損していて通常のように走行することができず、緩慢な蛇行走行のままコースを斜めに横切ったうえ、一八番ポストを越えた附近のコースアウト側グリーンに進入停止して競技を放棄したこと、そしてさらに次の第三周目に、氏原車が、一八番ポスト前附近にきて突然スリップしてスピン状態に陥ったうえ、一七番補助ポスト前附近(一八番ポスト寄り)のコース中央に停止してしまい、停止後同人は駈けつけた一七番ポストのコース委員である訴外田中に対し一八番ポスト前附近のコースを指さして「あのあたりにオイルがある」と告げたこと、本件事故は、これに引き続いてその後に起こったもので、原告車がスリップした地点は氏原車のときとほぼ同一地点であり、原告としては、右スリップの際自車の後車輪両輪が突然コースアウト方向に流されたように感じ、自己の運転経験から、オイルに乗って滑ったものと判断し、訴外杉崎直司もまた、レース第四周目に一八番ポスト前附近のコース上で自己の競技車両がオイルに乗って若干滑ったものとの感触をもったこと、以上の事実が認められ(このうち、レース第二周目に、前山車が一八番ポスト前附近のコース上で石川車と接触して一旦停止したが、その後再び自力走行を行ったことは当事者間に争いがない。)、右認定を左右する証拠はない。

そして、証人前山勝彦の証言によれば、訴外前山が、本件レース終了後に自車の車体検査を実施してみたところ、オイルタンクに外観上異常はなかったが、同車のエンジン部分の周囲に通常の場合には殆んどみられないオイルによる汚れが附着していたこと、競技車両の場合エンジンから霧状に噴出するオイルを車外に撒き散らさないようにするため、オイルタンクのほかにキャッチタンクを付設するよう規則上義務づけられており、前山車の場合その容量は二リットルで、通常の場合一レースを完走したときでも右キャッチタンクに溜まるオイルの量はそれ程多くはないが、キャッチタンクの上部に空気穴としての開口部があるため、車体が横転等すると、そこからオイル洩れを生ずる可能性のあることが認められる(右認定を左右する証拠はない。)ほか、証人衛藤秀宣の証言によれば、一八番ポストのコース委員である同人が本件レース終了後一八番ポストから一九番ポストにかけてコースを点検したところ、一八番ポスト前附近のイン寄りのコース上(前山車の停止位置附近)に量はさほどではないがオイルの存在を認めたので、同所について石灰処理を施したことが認められ(る。)《証拠判断省略》

以上各認定事実のほか《証拠省略》を併せ判断するならば、本件事故は前山車の横転及びその後のコース横断により、同車から洩れてコース上に流出したオイル上に原告車が乗ったため発生したものと推認せざるを得(ない。)《証拠判断省略》

もっとも、《証拠省略》によると、一八番ポスト及び一七番補助ポストの各コース委員がオイルの存在の情報を知ったのは前記のように訴外氏原から告げられて初めて知ったものであること、本件レースにおいて本件事故以後一八番ポスト附近でのスリップ事故はなく、レースは続行されて終了したことが認められ、右事実に前記認定のようにレース終了後訴外衛藤において処理したオイルの量がさほどのものではなかったことも併せ考えると、右前山車から流出したオイルは一見して識別できるほど多量なものではなかったものと認めざるを得(ない。)《証拠判断省略》

二  責任

1(一)  原告は、付則H項を根拠に、一八番ポスト及び一七番補助ポストに配置されていたコース役員に、員数の不足という本件レース場保存上の瑕疵があり、それがため本件事故が発生したものであると主張する。

本件レースにおいて、一八番ポストを含め少くとも八箇所の監視ポスト、及び一七番補助ポストを含め二箇所の補助監視ポストが設けられ、右一七番補助ポストには主任として訴外村手、副主任として訴外田中の両名がコース委員として配置されていたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、右一八番ポストには当時主任として訴外渡辺が、副主任として訴外関が、そのほか係員として訴外衛藤のほか一名合計四名が配置されていた(右のうち訴外渡辺、同関、同衛藤の三名が配置されていたことは当事者間に争いがない。)ことが認められ(《証拠判断省略》)、更に《証拠省略》によると、社団法人日本自動車連盟公認の自動車競技にも適用のある国際スポーツ法典付則H項第一章には、それぞれの主ポストには主任、副主任各一名のほか係員三名以上合計五名以上の人員を配置しなければならない旨定められており、右規定は本件レースにもその適用のあることが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

しかして、原告は前記各ポストに右規定に定める員数のコース委員を配置していたならばコース上のオイルの存在を早期に発見し、それに対する処置をとることができたと主張するが、前記認定のようにコース上に流出したオイルの量は一見して識別ができるほどの量ではなかったうえ、《証拠省略》によると、前記のように氏原車が停止したため一七番補助ポストのコース委員である訴外田中がその場に駈けつけ、訴外氏原とともに同車を押してコースの端(一八番ポストから約一四〇メートルの地点)に寄せたが、そのとき訴外氏原からコース上にオイルがある旨告げられたので、大声で一七番補助ポストのコース委員である訴外村手とその場に駈けつけてきた一八番ポストのコース委員である訴外衛藤にその旨を伝えるとともに、自ら「危険、徐行、追越禁止」を命ずる黄旗を振動状態で掲示し、一方訴外村手は右の旨を直ちに一八番ポストに連絡すべく電話をかけたが通話中の合図音がして通じないため幾度かかけ直し、また訴外衛藤は一八番ポスト主任に報告すべく同ポストに向かって駈け、到着するかしないそのうちに本件事故が発生したもので、右オイル存在の情報を得てから本件事故発生までの時間的間隔は幾らもなかったことが認められ(他に右認定を左右する証拠はない。)、右のような事実関係のもとにおいては、前記各ポストに、より多くのコース委員が配置されていたとしても、より早期にオイルの存在を発見し、それに対する処置がとり得たとも考えられず、他に原告の前記主張を認めるに足りる証拠もない。

そうだとするならば、前記各ポストが付則H項第一章にいうところの「主ポスト」に当たるか否かの点を判断するまでもなく、その理由がないものというべきである。

(二)  原告は、本件電話器が、事故当時故障中であり、その点で本件レース場保存上の瑕疵があり、それがため本件事故が発生したものであると主張する。

しかしながら、本件全証拠を検討しても、本件事故当時本件電話器が故障中であったことを認めるべき証拠はない。もっとも、前記認定のように訴外村手がオイルの存在を一八番ポストに本件電話器で連絡しようとしたところ、通話中の合図音がして通じなかった事実が存在するが、一方証人渡辺徳治の証言によると、本件事故の前後ころ、同人が一八番ポストの電話を使用して競技本部と連絡していたことが認められるから、右通話中の合図音がして通じなかった事実から本件電話器が故障中であったと断ずることはできないのみならず、《証拠省略》によると、本件事故後間もなく、訴外村手が、今度は競技本部に対し、本件電話器で救急車出動要請の電話をかけようとしたところ、すぐに電話がつながり通話することを得たことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

右のとおり、本件電話器が事故当時故障中であったとは認められず、かえって故障中ではなかったことが認められるから、故障中であったことを理由に本件レース場に保存の瑕疵があるとする原告の前記主張は理由がないものというべきである。

2  原告は、一八番ポスト及び一七番補助ポストのコース委員の員数不足並びに一七番補助ポストの電話器の故障を理由に、被告会社自体の民法七〇九条に基づく過失責任を主張するが、右各主張の理由のないことはさきに判示したとおりであるから、原告の右主張は失当というべきである。

3(一)  原告は、訴外渡辺、同衛藤について、前山車が再度コースに復帰し得ない状態であることを知りながら、漫然と同車を放置した過失がある旨主張する。

前山車が石川車と接触し、一時横転の状態になりながら逸走し結局一八番ポスト前附近(一九番ポスト寄り)のコース上に一旦停止したが、間もなく自力走行を再開し、コースを斜めに横切り、一八番ポストを越えた附近のコースアウト側グリーンに進入停止し、右コースを斜めに横切った際オイルをコース上に流出させたことは前記認定のとおりで、《証拠省略》によると、前山車が右のように一旦停止した際、その場に駈けつけた訴外衛藤が前山車の自力走行の再開を制止しなかったことが認められ(る。)《証拠判断省略》

しかしながら、《証拠省略》によると、訴外前山は自車が右のように一旦停止した際には、未だ自車の異常には気付かず、レースに復帰すべくエンジンを始動させ走行を再開してから、ハンドルが思うように切れなくなっているところから、レースへの復帰が不可能であることを知り、直ちに競技を放棄しようとしたが、コースイン側のグリーンは巾員が狭く同所に退避するのが難しかったため、コースアウト側に走行していき、そこのグリーンに進入したうえで競技の放棄をしたものであり、訴外衛藤も前山車の走行再開後その走行状態を見ることにより、初めて同車がレースに復帰し得ない状態であると判断するに至ったことが認められ(る。)《証拠判断省略》

ところで、付則H項第一章の「要員」の箇所に、「車の機械の不調または事故により自分の監視区域内で停止した車があった場合、エンジンを再始動させることなく、必要な信号合図の保護のもとにその車を走路の外へ押し出す必要がある。」旨の定めがあることについては被告会社もこれを認めるところであり、右規定を形式的に解釈する限り、レース中に事故等により停止した競技車両があった場合、コース委員としては自力走行の再途を禁止ないし制止すべきものと解されないではないが、他方、《証拠省略》によれば、付則H項第一章の右「要員」の他の箇所には、「停止してしまった車両については、その原因と競技車の競技放棄の意思を確認」すべき旨の定めがあり、また、同第三章中の「レース中における車両の停止」の箇所には、「ドライバーが止むを得ずなんらかの理由により自己の車両を停止しなければならない場合には、その車両がそこに在ることが危険とならないよう、あるいはレースの走行を阻害しないよう速やかに走路外に移動させること」、「もしもドライバー自身がその車両を危険となるような場所から移動させることができない場合には、そのドライバーを援助することはコース委員もしくはその他の競技役員の義務とする。その場合、もしもドライバーが外部の援助を得ないで自己の車両を再び始動することに成功し、(省略)レースに復帰するならば、そのドライバーはレースから除外されることはない。」旨の定めのあることが認められ、これらの各規定を彼此対照すると、本件のような自動車レースにおいては、競技者には、当該競技途中で参加を継続するか放棄するかの自由があり、競技車両が競技中にコース上で何らかの理由により停止した場合、エンジンを再始動して競技を継続するか否かの判断決定は一次的に競技者に任されていて、コース委員としては、車両の損傷が甚だしく、明らかに競技の継続が不可能である場合は別として、競技者が競技放棄の意思を明らかにしない限り、競技者に対し濫りにエンジンの再始動を禁止ないし制止すべきでなく、競技者において競技放棄の意思を明らかにした時に初めて、コース委員は車両の停止位置、コースの状況をみて当該競技者に助力し、エンジンを再始動させることなく、競技車両をコース外に押し出す等の収拾作業に努めるのが規定の趣旨と解するのが相当である。

また、《証拠省略》によると、訴外渡辺は一八番ポストの主任としての職責上終始コースアウト側の後方土手上に設置されていた一八番ポストの建物の中にいて所属コース委員に対する指揮、競技本部との連絡等に当たっていて、前山車が前記のように一旦停止した際、自力走行の再開を制止できる状況にはなかったうえ、前記認定のような事実関係及び規定の解釈からして、訴外渡辺が前山車の自力走行の再開を制止しなかったことをもって右訴外人に過失があったとすることはできない。

したがって、原告の右主張はその理由がないものといわなければならない。

(二)  原告は、訴外渡辺、同関、同衛藤の三名につき、コース監視を怠った過失があり、それがためオイルを発見できなかったものである旨主張するところ、右三名が、本件事故前、オイルを発見しなかったこと自体は当事者間に争いがない。

しかしながら、右三名の者が監視を怠ったためオイルを発見しなかったものであるとの事実を認めるべき証拠はなく、かえって証人衛藤秀宣の証言によれば、コース上にオイルが流出していて、その量がたとえ相当の量であったとしても、グリーン内に位置するコース委員の方からはこれを視認しにくい場合が少くなく、訴外衛藤自身、これまでにも自分では気附かず競技者から教えられて初めてオイルの存在を知った経験を有していることが認められ(右認定を左右する証拠はない。)、また《証拠省略》によれば、付則H項第二章の「信号旗の使用規定」の箇所には、「走路に油が次第ににじんで拡大している時は、コース員が気づかないとしてもそれ以上に運転者の方が気づくものであるから、広くにじんで特別にひどくなっている場所以外は、信号の必要性はないと思われる。」との定めのあることが認められ、右の如き定めのあることからして、自動車競技においてはコース委員においてオイルを発見しにくい場合もままあり得ることがうかがわれ、まして本件において流出したオイルの量が一見して識別できるほど多量なものでなかったことは前記認定のとおりであるから、オイルを発見しなかったとしても十分あり得るところで、右のような事実関係に《証拠省略》を併せると、前記三名の者がオイルの存在を発見しなかったのは、同人らが監視を怠ったためではなく、十分監視していたが流出したオイルの量が少なく視認しにくかったためであると認めざるを得ない。

なお、原告は訴外衛藤がオイルの存在を訴外氏原から告げられながらこれを確認しなかった過失は大きいと主張するが、前記のように訴外衛藤はオイルの存在を訴外氏原から告げられるや、直ちに一八番ポストの主任である訴外渡辺に連絡すべく同ポストに向かって駈けたのであって、右訴外人の行動に過失ありとしてこれを責めることはできないものというべきである。

したがって、原告の右主張も理由がない。

三  そうだとするならば、本件レースの主催者が被告であるか否か等の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないから、失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川昭二郎 裁判官 福岡右武 富田善範)

〈以下省略〉

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